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2025

    新規プロジェクト——世界一の専門店づくりへの挑戦

    #08新規プロジェクト——世界一の専門店づくりへの挑戦

    原石からダイヤへ

     28歳の時だった。私はマネージャーに昇進したが、その際に当時4代目の小菅国安社長の肝入りでプロジェクトが発足し、私はそのチームに選抜された。

     当時、伊勢丹は吉祥寺に店舗を出店していた。吉祥寺という地は百貨店にとって難しく、東急や大丸といった競合他社も出店していたが、決して成功が容易な場所ではなかった。

     伊勢丹は面積約1万平方メートルの店を展開しており、社長のプロジェクトとは、伊勢丹吉祥寺店に「世界一の専門店」を作るというものだった。
     専門店というのは、アパレルに限らない。この街に今までにない、世界一の店舗を生まれさせるという柔軟な発想と行動力が求められるプロジェクトだった。

     そこに、紳士部門から1人、婦人部門から1人が選抜され、それに課長職3人が加わり、計5人の社内横断プロジェクトチームが発足した。そして私もその中に選ばれた。

     プロジェクト拠点は、新宿に設けられ、百貨店の店頭から離れた世界で、ゼロベースでの店舗づくりに取り組むこととなった。
     3年ほどのプロジェクト期間は、私ののちの人生にとって最も大きな財産となっている。

     特に印象深かったのは、チームを率いていた部長との日々だ。朝は会社に来ない人だった。夕方5時くらいに出社して、6時くらいには出ていく。

     私はその退社時に、彼のカバン持ちとして帯同した。行き先は会食の場で、二次会、三次会まで続いた。私自身は酒が強くないので、正直、つらい思いをしていた。
     ただ、我々は遊びに行っていたわけではない。飲食の場であっても、目的は情報交換。百貨店業界の外の人と会い、情報を集める機会を重ねていたのだ。

     世界一の専門店にするためには、これまで世の中に存在していなかったものを創造しなければならない。
     そのためには業界を越えさまざまな分野の人々に会い、あらゆる情報を蓄えていかなければならない。これは大変なミッションだった。

     しかし、上司についていくと、全く知らない業界や立場の方々と出会い、大きな刺激を受けたのは事実である。革新的なことを成すには、自分の視野を広げていくことがいかに大切なのかを、身をもって実感していた。

     紳士服部門でずっと販売やバイイングを務めていた私には、知らないことが多すぎた。
     もう一人、私にそれを気づかせてくれたのが、婦人部門から来た自分よりも歳下の女性だった。彼女は非常に優秀で、情報感度も高く、さまざまなことを知っていた。

     「大西さん、自由が丘の○○というベーカリーに行ったことありますか?」「○○という雑貨屋に行ったことありますか?」 などと彼女は言うのだが、私が知らない店などの情報も、かなりあった。

     世の中には自分の知らないことがたくさんあって、それを自分よりも歳下でこんなにも知っている人がいるのだという事実に衝撃を受け、自らの知見をもっと広げていかねばならないと痛感した。

     このことも、私が外に出て人脈を広げていこうと意識することになった一因である。

     このプロジェクトで得た「異分野との接点を持つこと」「多様な感性を吸収すること」「正解のない中で意思決定すること」は、のちに経営の場で大きな支えとなっていく。

     余談だが、一つだけ助かったのは、部長について行くと「最後はこれで帰れ」とタクシー券をくれたことだ。電車のない時間ではあったが、毎日タクシーで帰ることはできた。

     もっとも西荻窪に住んでいた部長は、翌朝会社には来ず、夕方になれば外へ出て直帰していた。

     しかし、外に出れば誰かと面会し、プロジェクト成功のために日夜奔走していたのである。

     私が伊勢丹の社長となったのち、取材で「人生の転機は何でしたか?」と問われた際、私は迷わずこのプロジェクト、そして部長であるK氏との出会いを挙げている。

     伊勢丹という枠を越え、社会とつながりながら“本当に価値のある店づくり”を考えるきっかけをくれた、かけがえのない時間だった。

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