
新人時代 現場で学んだ“販売の本質”——伊勢丹で...
4/19(土)
2025年
大西 洋 2025/04/05
様々な経験を積んだ大学時代も終わりを迎え、就職活動の時期がやってきた。
自分の大学の成績を見る限りでは、名のある企業への採用を期待することは難しかった。先に書いたように、ゼミには所属しておらず、成績表に並ぶAの数はわずか7つで、そのうち3つは体育会系の科目だった。
事実、中央競馬会の新卒求人に応募したが、書類選考で落とされてしまった。大学時代に情熱を注いだ一番の趣味である競馬の世界に入ろうと考えたが、当時の中央競馬会は農林水産省の管轄であり、私立でAが7個だと、残念ながら書類選考で見送られてしまった。
また、大学時代に記事を寄稿していたスポーツ紙「スポーツニッポン」にも強い思い入れがあり、競馬記者としての道も模索していたものの、1979年当時は新卒の採用枠がなかったのである。
そんな中、私の関心が高まっていたのが、当時急成長を遂げていたファミリーレストラン業界だった。
有名なのは東京都武蔵野市発祥のすかいらーくや、福岡県から拡大したロイヤルホストなどであるが、50年前の当時はちょうどこの事業形態が世に出てきた時代だったのである。
私自身、ロイヤルホストには頻繁に足を運び、その中でも特に印象的だったのが、ある店長の姿だった。
その店長は、他のスタッフの動きとは明らかに異なり、フロア全体に細やかに目を配り、客のグラスから水がなくなれば、言われる前に気付いて水を注ぎに来る。客が何かを床にこぼせばすぐにやってきて拾っている。場の空気を読む力と即応力に富んだ店長の働きぶりに興味を抱き、接客業の面白さを感じた。自分も将来レストランの店長になり、そのように機敏な接客をすることを夢見て、ロイヤルホストの採用選考を受けたのである。そしてありがたいことに、内定をいただいた。
その後、思わぬ展開が訪れる。知人から、私がロイヤルホストに内定した後に「伊勢丹は福利厚生が非常に整っているし、より幅広い接客を経験できる環境があるかもしれないから、サービス業に行きたいのであれば受けてみると良い」と勧められたのだ。
そして就職活動を終えようというタイミングで、同社の採用選考へチャレンジし、結果として伊勢丹からも内定をいただいた。
いざ両社の内定をもらい、私は悩みながらも、自分が本当にやりたいことは何か、心の内を見つめ直した。そして、私の夢はサービス業そのものにあることに気付いた。ファミリーレストランの店長として働くことに憧れを抱いてはいたが、より幅広い商品と顧客を相手に、接客の本質に向き合える百貨店であれば、より多角的で充実した接客ができるかもしれないと考えた。そして、ロイヤルホストに丁重にお礼を伝え、伊勢丹への入社を決意した。
私の約40年にわたる伊勢丹でのキャリアは、このようにして幕を開けた。